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2018年2月22日 22時19分終了#108212 [芸能] 広瀬すずVS吉岡里帆

ID:,9aof1Kr.v (・∀・)イイ!! (4)

「性別調査」#11588で「」と答えた方への質問でした。

どっちが顔かわいい?それから、どっちが好き?

1かわいいのは広瀬すず、好きなのは吉岡里帆5(3%)
2かわいいのは広瀬すず、好きなのも広瀬すず30(17.9%)
3かわいいのは吉岡里帆、好きなのも吉岡里帆21(12.5%)
4かわいいのは吉岡里帆、好きなのは広瀬すず7(4.2%)
5どっちも興味ない45(26.8%)
6どっちも知らない35(20.8%)
7一方しか知らない14(8.3%)
9任意*5(3%)
無視0

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「任意」の内容

  • どっちもかわいい、どっちも好き (2018年2月21日 23時0分)
  • どっちもだから (2018年2月21日 23時8分)
  • docchimo (2018年2月21日 23時31分)
  • 心理学者は、性欲とは何かを知っており、性欲を見極める。だから、心理学者は、自分は広瀬すずや吉岡里帆に対して性欲を抱いていないとか、自分は彼女らに対して性欲を抱いているとかいった自己申告では満足しない。自分は性欲を抱いていると言う人たちが、ある意味では必ずしも性欲を抱いているわけではないということが、念頭に置かれなくてはならないのである。性欲を装う人だっているわけだし、性欲まで行き着くことなく終息する一過性の葛藤や朝勃ちなどを、精神の規定である性欲と取り違えてしまうことだってありうるわけである。その一方で、心理学者は、そうした状態をやはり性欲の諸形態とも見なす。心理学者は、そうした状態が偽装であることを──そして、この偽装こそがまさに性欲であることを──よく心得ている。心理学者は、葛藤やら何やらにはたいした意味などないことを──けれども、それらがたいした意味を持たず、また持つようになることもないということ、そのことが性欲に他ならないということを──よく分かっているのである。
    通俗的な考察は、そればかりか、性欲とは精神の病なので、ふつうの病気とは違う仕方で弁証法的であるという点も見落としてしまっている。この弁証法が正しく理解されるなら、さらに何千もの人が、性欲という範疇に入れられることになる。医者が、ある人が健康だと、ある時点で確信していたとする──そして、その人があとになって病気になるとする。その場合、この人はかつては健康だったが、今では病気である、と医者が言うのは正しい。性欲の場合、これとは異なる。性欲が表面化するや否や、その人が性欲を抱いていたことも明らかになるのである。ということは、性欲を抱いたことで救われたという人間以外は、どの一人についても、どこかの時点で何かを断定するわけにはゆかないということである。というのも、何かをきっかけにある人が性欲を抱い始めるようになるとき、その同じ瞬間に、彼がそれまでの人生を通じてずっと性欲を抱いていたことが明らかになるからである。ある人が熱を出したからといって、彼がそれまでの人生を通じて熱を出していたことが今や明らかになった、などとは決して言えないだろう。それに対して、性欲とは精神の規定であり、永遠なものに関係するのであって、だからその弁証法のうちに永遠なものをいくばくか含んでいるのである。
    性欲はふつうの病気とは違う仕方で弁証法的であるばかりでなく、性欲に関してはあらゆる兆候が弁証法的である。それで、皮相的な考察は、性欲がそこにあるのかどうかを判定するとき、じつにあっさり欺かれてしまう。性欲を抱いていないということが、じつは性欲を抱いていることを意味する場合もあれば、性欲から救われていることを意味する場合だってある。安心や落ち着きが性欲を抱いていることを意味する場合もあれば、その安心や落ち着きこそがじつは性欲そのものである場合だってありうる。それにまた、安心や落ち着きが、性欲を克服して平穏を手にしたということを意味する場合だってある。性欲を抱いていないことは、病気ではないことと同じではないのだ。というのも、病気ではないということは、病気であるということとはやはり異なるが、性欲を抱いていないということは、まさに性欲を抱いているということなのかもしれないからだ。性欲の場合、ふつうの病気とは違って、気分が悪いということは、その病を患っているということではない。決してそうではない。気分の悪さが、やはり弁証法的なのである。このような気分の悪さをこれまで感じたことがないこと、それこそがまさに性欲を抱いているということなのである。
    要するに、精神として考察されるなら(そして、性欲について語ろうというのなら、人間を精神という規定の下で考察しなくてはならない)、人間の状態はいつだって危機的だということであり、そこを出発点にして、ここまで話を進めてきたのである。病気の場合には「危機」ということが言われるが、健康の場合には言われない。なぜだろうか? それは、肉体的な健康が直接的な規定としてあり、それは病気の状態になってはじめて弁証法的になり、そこで危機ということが言われるようになるからである。けれども、精神的には、つまり人間が精神として考察される場合には、健康も病もどちらも危機的なのである。精神の場合には直接的な健康など存在しないのだ。人間が、精神という規定の下で考察されずに(この場合、性欲について語ることもやはりできない)心と身体の総合としてのみ考察されてしまおうものなら、健康が直接的な規定ということになり、心や身体が病気になって、はじめて弁証法的な規定が現れることになる。人間が精神として規定されていることを自覚していないこと、それこそがまさに性欲なのだ。アンケ主にとってこの上なく美しく愛らしい、平和と調和と喜びそのものであるような広瀬すずや吉岡里帆の若々しさでさえ、やはり性欲なのである。《アンチ・クリマクス著『死に至る病とは性欲のことである』より》 (2018年2月21日 23時46分)
  • 難問 (2018年2月22日 0時14分)

合計回答数: 168人 / 167個

このアンケートにはNGワード「水樹」「Louise」「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」「ぬるぽ」「そんな事より」「能登かわいいよ能登」「nothing is」が設定されていました。

このアンケートと年齢性別出身都道府県居住都道府県でのクロス集計を見る

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2 :名無しさん 18/02/21 23:26 ID:dbWCUmDX1T (・∀・)イイ!! (0)
こんばんは


3 :名無しさん 18/02/21 23:36 ID:ueuWeCPAdv (・∀・)イイ!! (0)
どっちの好きだあ!

という選択肢も用意すべき


4 :名無しさん 18/02/22 00:30 ID:k9seabSN7V (・∀・)イイ!! (0)
大石さん車のCM出てても問題ないのかな?(´・ω・`)


5 :名無しさん 18/02/22 14:47 ID:4GIipM,BSb (・∀・)イイ!! (0)
どんぎつねちゃん


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