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2023年7月25日 21時15分終了#120463 [心と体] ひたむきに

ID:8WSN6qe70M (・∀・)イイ!! (0)

我慢する人の姿を見ると感心する

1尿意24(48%)
2任意25(50%)
無視0

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「任意」の内容

  • 愚かだと呆れる (2023年7月25日 20時24分)
  • モリタポ (2023年7月25日 20時26分)
  • x (2023年7月25日 20時27分)
  • 120463 (2023年7月25日 20時27分)
  • そーかい (2023年7月25日 20時27分)
  • 心理学者は、尿意とは何かを知っており、尿意を見極める。だから、心理学者は、自分は尿意を催していないとか、自分は尿意を催しているとかいった自己申告では満足しない。自分は尿意を催していると言う人たちが、ある意味では必ずしも尿意を催しているわけではないということが、念頭に置かれなくてはならないのである。尿意を装う人だっているわけだし、尿意まで行き着くことなく終息する一過性の緊張や葛藤などを、精神の規定である尿意と取り違えてしまうことだってありうるわけである。その一方で、心理学者は、そうした状態をやはり尿意の諸形態とも見なす。心理学者は、そうした状態が偽装であることを──そして、この偽装こそがまさに尿意であることを──よく心得ている。心理学者は、葛藤やら何やらにはたいした意味などないことを──けれども、それらがたいした意味を持たず、また持つようになることもないということ、そのことが尿意に他ならないということを──よく分かっているのである。 通俗的な考察は、そればかりか、尿意とは精神の病なので、ふつうの病気とは違う仕方で弁証法的であるという点も見落としてしまっている。この弁証法が正しく理解されるなら、さらに何千もの人が、尿意という範疇に入れられることになる。医者が、ある人が健康だと、ある時点で確信していたとする──そして、その人があとになって病気になるとする。その場合、この人はかつては健康だったが、今では病気である、と医者が言うのは正しい。尿意の場合、これとは異なる。尿意が表面化するや否や、その人が尿意を催していたことも明らかになるのである。ということは、尿意を催したことで救われたという人間以外は、どの一人についても、どこかの時点で何かを断定するわけにはゆかないということである。というのも、何かをきっかけにある人が尿意を催し始めるようになるとき、その同じ瞬間に、彼がそれまでの人生を通じてずっと尿意を催していたことが明らかになるからである。ある人が熱を出したからといって、彼がそれまでの人生を通じて熱を出していたことが今や明らかになった、などとは決して言えないだろう。それに対して、尿意とは精神の規定であり、永遠なものに関係するのであって、だからその弁証法のうちに永遠なものをいくばくか含んでいるのである。 尿意はふつうの病気とは違う仕方で弁証法的であるばかりでなく、尿意に関してはあらゆる兆候が弁証法的である。それで、皮相的な考察は、尿意がそこにあるのかどうかを判定するとき、じつにあっさり欺かれてしまう。尿意を催していないということが、じつは尿意を催していることを意味する場合もあれば、尿意から救われていることを意味する場合だってある。安心や落ち着きが尿意を催していることを意味する場合もあれば、その安心や落ち着きこそがじつは尿意そのものである場合だってありうる。それにまた、安心や落ち着きが、尿意を克服して平穏を手にしたということを意味する場合だってある。尿意を催していないことは、病気ではないことと同じではないのだ。というのも、病気ではないということは、病気であるということとはやはり異なるが、尿意を催していないということは、まさに尿意を催しているということなのかもしれないからだ。尿意の場合、ふつうの病気とは違って、気分が悪いということは、その病を患っているということではない。決してそうではない。気分の悪さが、やはり弁証法的なのである。このような気分の悪さをこれまで感じたことがないこと、それこそがまさに尿意を催しているということなのである。 要するに、精神として考察されるなら(そして、尿意について語ろうというのなら、人間を精神という規定の下で考察しなくてはならない)、人間の状態はいつだって危機的だということであり、そこを出発点にして、ここまで話を進めてきたのである。病気の場合には「危機」ということが言われるが、健康の場合には言われない。なぜだろうか? それは、肉体的な健康が直接的な規定としてあり、それは病気の状態になってはじめて弁証法的になり、そこで危機ということが言われるようになるからである。けれども、精神的には、つまり人間が精神として考察される場合には、健康も病もどちらも危機的なのである。精神の場合には直接的な健康など存在しないのだ。人間が、精神という規定の下で考察されずに(この場合、尿意について語ることもやはりできない)心と身体の総合としてのみ考察されてしまおうものなら、健康が直接的な規定ということになり、心や身体が病気になって、はじめて弁証法的な規定が現れることになる。人間が精神として規定されていることを自覚していないこと、それこそがまさに尿意なのだ。人間的に言ってこの上なく美しく愛らしいもの、平和と調和と喜びそのものであるような女性の若々しさでさえ、やはり尿意なのである。《アンチ・クリマクス著『死に至る病とは尿意のことである』より》 (2023年7月25日 20時30分)
  • 我慢我慢 (2023年7月25日 20時31分)
  • moritapo (2023年7月25日 20時35分)
  • 中学生の娘が、今まで穿いていなかったダメージジーンズを穿くようになったら、私は非常にショックを受けるでしょう。これは、親としての責任を果たしていなかったと感じ、娘に失望してしまうからです。まず、ダメージジーンズはファッション的なアイテムであり、若者の間で人気があります。ダメージジーンズを穿くことは、自分の意思を表現し、個性を主張するための手段でもあります。若者は、ファッションを通じて自分自身を表現することが多く、その象徴としてダメージジーンズを選ぶこともあるでしょう。しかし、そのようなファッションを好むことは、その若者がまだ成熟していない証拠です。私は、親として、子供たちには健康的で安全な服を着せる責任があると考えています。ダメージジーンズは、破れたり、膝が露出するようになっていたりすることがあり、それが不衛生になることもあります。また、寒い日に穿くと風邪を引く可能性があるため、健康上のリスクも考えられます。さらに、娘がダメージジーンズを穿くことによって、周りからの評価が変わってしまうかも知れません。学校では制服があり、個性を主張するための方法が制限されています。そのため、自分の洋服を選ぶことができる週末や休日には、娘がダメージジーンズを選ぶことで、周りから注目を浴びてしまう可能性があります。また、ダメージジーンズを穿くことで、娘が自分自身を不適切な方法で表現していると誤解されることもありえます。以上のように、娘がダメージジーンズを穿くことで、私は非常にショックを受けることになるでしょう。私は、健康と安全に配慮し、周りからの評価にも注意を払うように娘にアドバイスをする必要があります。同時に、娘には自分自身の考え方を尊重し、個性を表現する方法を探るように伝える必要もあります。娘が自分自身のスタイルを見つけ、自分自身を表現することは大切なことです。その過程で失敗することもあるでしょう。しかし、親として、私は常に娘の安全と健康を最優先に考え、彼女に適切なアドバイスを提供する必要があると考えています。私たちは、子供たちに自由を与え、自分自身を表現する機会を与えるべきです。ただし、その自由は常に規律と責任の下で行使されるべきであり、親が監督する必要があります。娘がダメージジーンズを穿くことについては、私は彼女にどのような意図があるのかを尋ね、その理由について話し合う必要があると考えます。娘が適切な方法で自分自身を表現することができるように、私は彼女に別の方法を探すよう提案します。総括すると、私が娘がダメージジーンズを穿くことにショックを受ける理由は、親としての責任感からくるものであると言えます。しかし、子供たちは自分自身を表現する機会を持つべきであり、そのためには適切なアドバイスや指導が必要です。私は娘が自分自身を表現するための別の方法を探すように提案し、常に彼女の健康と安全を最優先に考え、彼女が正しい方法を見つける手助けをすることが重要だと考えます。 (2023年7月25日 20時41分)
  • モリタポ (2023年7月25日 20時45分)
  • モリタポ (2023年7月25日 20時45分)
  • 北向きに (2023年7月25日 20時47分)
  • x (2023年7月25日 20時49分)
  • (1モリタポ) (2023年7月25日 20時52分)
  • 0 (2023年7月25日 20時53分)
  • #120463: ひたむきに(50名) (2023年7月25日 20時55分)
  • (1モリタポ) (2023年7月25日 20時57分)
  • それで? (2023年7月25日 21時5分)
  • 尿意はないわ (2023年7月25日 21時5分)
  • ひたむきにがんばります (2023年7月25日 21時7分)
  • モリタポ (2023年7月25日 21時8分)
  • いいえ (2023年7月25日 21時8分)
  • はい (2023年7月25日 21時11分)
  • たぽ (2023年7月25日 21時14分)
  • モリタポ (2023年7月25日 21時15分)
モリタ x 尿意 自分 ( ? )

合計回答数: 50人 / 49個

このアンケートにはNGワード「水樹」「Louise」「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」「ぬるぽ」「そんな事より」「能登かわいいよ能登」「nothing is」が設定されていました。

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