111 :Em 09/04/23 06:13 ID:ZaBEUzYS4H (・∀・)イイ!! (0)
Dear 102
一般に、同じくここの人々は大いにあなたのようであります。
最近、多くの人々が地元の市役所あるいは美しい 田舎の貴族的な
大邸宅などで 結婚式を祝います。ある人々は彼らの赤ん坊に洗礼を施します、
しかし最近 多く人々が わざわざ 彼らの赤ん坊に洗礼を施そうとしません。
多くの人々が キリスト教の教会より むしろ 彼らの地区の火葬場所において
彼らの葬儀を開きます。

人々は 一般に 今日 非常に非宗教的です、しかし、
(彼らは洗礼を受けていなけれども) 彼らは 彼ら自身がキリスト教徒であると
考えていて、そして非宗教的にクリスマスを祝って、そしてイースターエッグ
チョコレートを買います。

そして、彼らは同じくヒンズーのディーワーリー Diwali フェスティバルに
行って、そして中国の新年のために中国料理を食べるためにロンドンあるいは
マンチェスターの中国町に行くかもしれません。

この理由で、私は我々の社会が非常に非宗教的である、
そして人々が 宗教についてあまりにも深刻にも不快にもならない
と言います。

同じく、今日、 多くの主流な教会が宗教的な討論と論争より
もっと 社会の福祉と世界的な金融ひっ迫、失業、
人種差別的、そして性差別的な平等、経済の不安定/困窮などなどのような
社会的な問題にいっそう興味を持っています。

エリザベス1世(1533-1603)が 宗教的にそして
政治的に混乱した彼女の王国を前にして 述べたように,
人は人の心に窓を置くことができません。

換言すれば、彼女は そう言うことによって 人がもう1人の人に
自分の宗教的な信念を強制することができない ということを意味しました。

私は無神論者です、しかし私はこの種類の問題は非常に個人的である
という理由で他の誰にも私の無神論の信念を強制しはしません。
人々が彼らの信念とイデオロギーに満足して、そしてどんな偏見と差別なしで
他の人々の生きる権利を傷つけない限り、私は 彼らに
彼らが何を信じるかは 彼らの自由であるべきです と言うでしょう。

とにかく、このコメントが非常に複雑になるであろうから、
私はこれに関して 助けをもとめて 私の日本の友人に
電子メールを出しました。

私はあなた(そして私のコメントを読む人は誰も)が
私が何と言っているか理解することを希望します。

もし理解することがどちらかと言うと難しいなら、
私は非常にすまなく思っています、しかし私は最善を試みました。

すみません!


このページの一番下のレスはスレッドの末尾ではありません。新しいレスが存在します。日時や流れを確かめて書き込みをお願いします。
板に戻る 全部 前100 次100 最新50

名前: E-mail (省略可):
↑↑ここに書いてもアンケートに回答したことになりません↑↑→アンケート回答用フォーム
削除ガイドライン違反報告はこちら
このアンケートの2ちゃんねる互換リンク→http://find.razil.jp/enq/test/read.cgi/2/1240235557/