2 :名無しさん 19/10/08 20:55 ID:WAFNTVhEJl (・∀・)イイ!! (0)
ありがとう


3 :名無しさん 19/10/08 21:11 ID:EdPrSOdUKm (・∀・)イイ!! (0)
小料理モリタポ(^ω^)


4 :名無しさん 19/10/08 21:21 ID:IVYlZTB7tq (・∀・)イイ!! (1)
係ないけど、こんなの見つけちゃった
モリタポ駅→森多歩駅→シンダプ駅……→「シンダプ駅」って本当にあったよ〜、ソウルにw


5 :名無しさん 19/10/08 21:32 ID:HHKl949_,, (・∀・)イイ!! (1)
モリタポ畑でモリタポを収穫しまくって
モリタポで豪遊するんだ!


6 :名無しさん 19/10/08 22:07 ID:XhkunB,ieA (・∀・)イイ!! (1)
モリタポ山でモリタポの鉱脈を見つけて採掘や!


7 :名無しさん 19/10/08 22:09 ID:O2ObArGMjj (・∀・)イイ!! (0)
モリタポ大学


8 :名無しさん 19/10/08 22:37 ID:XUa.ygGrRo (・∀・)イイ!! (0)
モリタポランド「ハハッ、貧乏人はお断りだよッ!」


9 :名無しさん 19/10/08 22:48 ID:xEheaWtZk9 (・∀・)イイ!! (0)
モリタポ山で紅葉見ながらキャンプしたい


10 :名無しさん 19/10/08 23:04 ID:iZph_fJMDn (・∀・)イイ!! (1)
 森田歩はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む森田川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
 東ざかいの伯剌西爾沢から、西の森田峠まで、刮餡十一宿はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷の間に散在していた。道路の位置も幾たびか改まったもので、古道はいつのまにか深い山間に埋もれた。名高い桟も、蔦のかずらを頼みにしたような危い場処ではなくなって、徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。新規に新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へと降って来た。道の狭いところには、木を伐って並べ、藤づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。長い間にこの森田歩に起こって来た変化は、いくらかずつでも嶮岨な山坂の多いところを歩きよくした。そのかわり、大雨ごとにやって来る鯖の氾濫が調査を困難にする。そのたびに調査主は最寄り最寄りの宿場に逗留して、刮餡の復旧を待つこともめずらしくない。
 この街道の変遷は幾世紀にわたる封建時代の発達をも、その制度組織の用心深さをも語っていた。鉄砲を改め女を改めるほど旅行者の取り締まりを厳重にした時代に、これほどよい要害の地勢もないからである。この谿谷の最も深いところには尿意我慢の関所も隠れていた。


板に戻る 全部 最新50

このスレへの書き込みにはログインが必要です。
削除ガイドライン違反報告はこちら
このアンケートの2ちゃんねる互換リンク→http://find.razil.jp/enq/test/read.cgi/16/1570535284/