11 :名無しさん 23/12/20 18:21 ID:UWZTOA7dqj (・∀・)イイ!! (2)
島には言い伝えがあった。
「この島の者は、皆仲良うせねばならぬ。諍いを起こす者あらば、島中の神仏の怒りで島はたちまち海に沈むであろう」
そして、えびす社に奉納されている木彫りのえびす様の顔が赤くなるのがその顕れとも伝えられていた。
この言い伝えは島の各家で代々語り継がれ守られてきたため、喧嘩が始まりかけても「はよやめんか。えびす様の顔が赤くなるぞ」の一言で全て治まった。

ただどこにでも信心から縁遠い人も居るものだ。
甲引さからす村に住んでいた医者の加藤良斎はこの言い伝えを頭から馬鹿にして、
「これほど大きな島が神仏の祟りで沈むなど有り得ぬ事じゃ」
と、誰はばかることなく言い触れていた。

信心深い島の人たちにとっては気が気でない。
「そんなことばかり言ってると、とんでもない神罰があたるぞ」
と良斎を諫める者も居たが、馬の耳に念仏、暖簾に腕押し、糠に釘。
「何を言うておるか、そんな古臭い迷信を信じおって馬鹿者どもが。面白い、どんな神罰があるか見てやりたいものじゃの」
島の年寄りの諫めを鼻で笑い飛ばしていた。

とある日のことだった、良斎は面白いことを思いついき、夜を待ってえびす社へとこっそり出かけた。
そして木彫りのえびす様の顔を、懐にしのばせてきた紅殻で真っ赤に塗りたくり、何食わぬ顔で家に戻ってきた。

翌朝の島は大騒ぎとなった。
朝のお参りに行った近くに住む爺さまが、
「大ごとじゃあ! えびす様の顔が真っ赤になっとるぞぉ」
と島じゅうに知らせまわったからだ。

「大事おおごとになってしまったのぉ。何も起きねばよいのだが…」
「島が沈む前に逃げ出さねばならぬ」
島民の中には家財道具をまとめる者も出始め、気の早いものは府内の知り合いの所へと駆け込んだ。

三日経ち、四日が過ぎたが、島には何事も起きなかった。
十日が過ぎても何事も無く、島も海は静かなままで、漸く島民たちは落ち着きを取り戻した。
それを見た良斎は、
「えびす様の顔を赤く塗ったは、わしじゃ。ためしてみたんじゃ。どうだ、ただの迷信じゃったろうが。島はなんともないぞ」
そう高笑いをし、
「どんな神罰が当たるか、見たかったもんじゃのう」
と逆に皆を煽り返し、胸を張った。

「このままで済めば良いのだがのぉ…」
そんな良斎を余所に島の人たちは、囁きあった。

それから三日後の慶長元年(1596年)六月、豊後国を中心に、時折地震が起きるようになった。
「神罰の前触れじゃ!」
と島民達の中には恐怖心を甦らす物も居た。

同年閏七月に入っても豊後国に地震は続き、島も日に四度、五度と揺れるようになった。
激しい揺れだけでなく、不気味な地鳴りも聞こえるようになると、
「ただ事じゃねぇ! 言い伝えは本当じゃった、こりゃあ神罰の前触れに違いねぇぞ」
皆で噂しあい、怯えながら暮らしていた。

そして、同月十二日未の刻(午後二時頃)を迎える。
https://japan-bunka.com/uryujima-2001/


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